初めての担当が数ヶ月で消えたお話
どうも〜!
さてさてやって参りました。
自分語りのお時間です(笑)
今回は私の初めての担当についてお話しようかと思います!
※実を言うと天てれ時代に生田斗真くんを好きになったのですが、その時は事務所だとか芸能人だとかそういうことを認識する前だったので、初めて好きになったジャニーズ(芸能人)は斗真くんなのかもしれないんだけど、担当ではないのでノーカンということにします…(小声)
前回同様、タイトルを見て勘のいい方はここで言う私の担当とは誰のことなのかお気付きでしょう。
私がジャニヲタへ足を突っ込んだのは
2005年の春。
そしてその数ヶ月後に表舞台から
一時姿を消したアイドル…。
そう、内博貴(うち ひろき)くんです。
消えたといってもジャニーズ事務所所属であることは変わりなく、今は舞台やソロコンサート等での活動がメインとなっています。
当時、内くんは2つのグループ、
NEWSと関ジャニ∞を掛け持ちしていました。
出会い(?)は初めて購入したMyojoでした。
(前回登場したタッキー&上戸彩ちゃんのアレ)
NEWSのページを読み、内くんのことを
「なんだかカッコいいのに可愛い人だなぁ」
と思いながら読み進めた先に関ジャニ∞のページがあり、そこでかき氷を食べている内くんを見て、
「やっぱりカッコいいし可愛い!!!」
となってしまったのです!!!
是非とも皆さん、
「内博貴 かき氷」で検索してください。
いかがでしょうか…
可愛くない?めっちゃ可愛いよね??
かき氷より可愛くない???
いや、隣のよかーまさん(横山さん)も
美形だよ?十分美形です。ええ。
だけど当時の私はこの内くんにとても惹かれてしまったのです…。
ただ、そもそもの入り口がふわっとしていることに定評のある(?)私ですので、
「私は内担です!」という感じではなく、
「内くんいい!!内くん好き!!」
みたいな感じで徐々に興味を持ちつつ、惹かれていきました。
そんな内くんに出会って数ヶ月、彼がグループ脱退せざるを得ない出来事があったのです。
※ここからは経緯を知らない方への簡単な説明を書き連ねるので、ご存じだったり思い出したくない・読みたくないという方は説明部分を飛ばしてください。
内くんは関西Jr.出身であり、先に関ジャニ∞へ所属していましたが、同じく関ジャニ∞の錦戸亮くんと共にNEWSへの加入に抜擢され、CDデビュー組には珍しくグループの掛け持ちをしていたのです。
ジャニーズ事務所にはよくあるワールドカップバレーボールを応援するグループとしてNEWSは結成され、2005年もNEWSはバレーの応援サポーター活動を行っておりました。
そんな活動期間中に事件は起こります。
それは未成年での飲酒、飲酒による補導、そして無期限謹慎です。
(内くんは当時18歳でした。)
この件に関しては色々な方が色々な方向からお話されているので割愛します。
真実なんて一般人には分からないもんね。
そんな出来事が起こり、世間に広まったその日のことは15年も前のことですが、未だに何となく覚えています。
(ハッキリ覚えてないんかい)
とある朝、ジャニヲタデビューを果たして数ヶ月しか経っていない私の耳に飛び込んできたのは母の言葉でした。
「内くん、謹慎だってよ?」
へ?どういうこと??
朝起きたばかりで寝ぼけた頭に訳わからんワードをブッ込まれても理解に時間がかかったわけで。驚きいっぱいで飛び起きた私は、母に差し出された新聞を読みました。
当時はまだジャニーズへの反対意識のあった母もさすがに自分の娘が応援している人の名前を認知していたし、とりあえず知らせないと、という思いがあったのでしょう。
ただ正直、新聞を読んでも訳が分かりませんでした。
いや、正確にいうと
「何が起きたのか」
ということは理解出来ても
「どうしてそうなったのか」
「どうしてこうならないといけないのか」
ということに納得出来ませんでした。
それに関して数日間報道があり、週刊誌やTVでは誰が悪い・誰が悪くないなどと統一性のない話ばかり。
当時の私は単純に「私の担当を奪った担当の周りにいた大人が憎い!」と思っていましたが、きっとそんな単純なことでもないから論争があったのだと思います。
けれど、ジャニヲタになったばかりの小さな脳みそしかない田舎の学生にはそんな考えしか思いつきませんでした。
担当がいなくなり、まだまだ私は知らないことばかりなのに得られるものがなくなってしまった。
ネットは頻繁に使えない家庭だし、文句を言ったところでTVには暫く映らないし、帰ってくる保証もない。
どうしたら…どうしたら…
その考えを巡らせている時、ふとドル誌に掲載されているとあるページに気付きました。
そう、
「バックナンバーの販売」です!!!!!
バックナンバー とは、
人気のバンドの名前ではなく(笑)
過去に販売された雑誌
(最新版ではないもの)のことです。
まさか過去に売られていた物を取り寄せて買えるとは夢にも思っていなかった片田舎の学生は驚きと嬉しさに狂喜乱舞します。
(雑誌は余ったら全て廃棄してると思ってた)
「えっ買えるの?買う買う!もう買うしかない!なんで今まで気が付かなかったんだろ!そうしないと内くんが載ってる雑誌が全部処分される!!!」
謹慎報道があってから出演ドラマはもちろん降板。TVで収録済みVTR使用の際に内くんの部分を切り取られて放送されたり、予定していたスペシャルドラマがお蔵入りしてしまったりという事態が起きていました。
(制作側の対応としては当然ですが…)
それ故に、
雑誌も早く買わないと全て処分される!
という考えが頭を駆け巡ったのです。
人間ってピンチになると頭の回転が速くなるんでしょうか。我ながら賢明な判断だったと今でも思ってます(笑)
「バックナンバーを買う」という考えに辿り着いた私は、ありったけのバックナンバー雑誌を買い漁り、ここぞとばかりにお年玉を切り崩し始めるのです。
それでも親の目があるし、一気に購入することも金銭的に難しいので分けて買うことにしていました。
「今月はduetとWink upで、次はポポロで…」
という風に過去の雑誌を次々と本屋で注文し、内くんの載っている雑誌を手に入れ始めるのです!!!
確か、1種類につき4ヶ月分くらいはバックナンバーを買ったんですよね。うん。
毎月5種類の雑誌を購入していて、デフォルトでかかる費用はザックリ2500円くらい
(もうちょい高いけど1冊500円と仮定して)
それを4冊ずつ、5種類の雑誌を購入
ということは…
5冊の合計2500円×4冊 = 1万円
もっとキッチリ計算すればもう少し高いし、それに加えて携帯の使用料を払ったり雑誌の最新号もちゃんと購入してたので無収入の学生にとっては相当な出費でした/(^o^)\
それでもジャニーズにハマって数ヶ月で担当を失った私にとっては担当を眺めることが出来て、担当のインタビュー内容や過去に行われたコンサートのレポを読めるバックナンバーが本当に有難い存在でした。
「もう担当が暫く見られない」というダメージを無意識に緩和してたのかもしれないです。
当時はとにかく雑誌を読みたい!彼を知りたい!の一心でしたが、今考えると適応能力すげーなって感心します(笑)
いなくなったことを気に病んでた時間よりも、過去のものをひたすら読み漁って楽しんでいた時間の方が長かった気がします。
好きになって数ヶ月しか経ってなかったから、まだダメージが小さかったのかもしれませんが。
そこから私の「担当いないからとりあえず気になる人を全体的に応援しよう」という期間が始まります(笑)
当時、ジャニーズ事務所には「You&J」というファンクラブがありました。
これは、1年分の会費を支払えばNEWS・KAT-TUN・関ジャニ∞の3グループのうち、どのグループのコンサートにも応募できるし会報がもらえるというもので、今では考えられないくらいお得なファンクラブでした(笑)
会費も今の1グループ分と同じくらいの値段だったんじゃないかな?
超お得ですよね(笑)
現在は1グループにつき1つのファンクラブが設けられているので、そんなお得な制度はなくなってしまったんですけどね………(遠い目)
そんなファンクラブに入ってたこともあり、内くんが帰ってくることを信じつつ、NEWS・KAT-TUN・関ジャニ∞の3グループを応援するスタイルに至ります。
田舎在住で気軽にコンサートへ行けない分、それぞれのグループのCD・DVDは大体購入しました。
ちなみに、親が嵐へ興味を示すようになって雑誌の購入等に文句は言われなくなりましたが、ジャニヲタとしての活動資金を増やしてもらえる訳もなく、常に貧乏でした(笑)
アイドル好きなのはジャニーズだけではなかったので、同時にAKB48やBerryz工房のCDも買っていました。出費が相当ですよね(笑)
それも今思えばどっから費用を捻出してたのか謎ですが(笑)
多分お年玉しかないんですけど(笑)
投資を惜しまなかったこと・担当がいなくなっても他の人を応援してメンタル的に何とか持ち堪えたことが今に繋がったのかもしれません。
DDかよって言われてしまえばそれまでですけどね(笑)
(DD:ヲタク用語で「誰でも大好き」の略)
あ、ヲタク用語を知らない人が読んだ時にも分かるようにちょいちょい解説してますが、お気になさらず!
(下の方に注釈書くの面倒くさいし)
(その場で解説した方が分かりやすいし)
(卒論思い出すからそういう書き方嫌い…w)
てことで、内くんとの馴れ初め(違う) と
担当がいなくなったお話でした!
次回は担当がいなくなってからのお話をしたいと思います。
暇な人はどうぞお付き合いください〜。
それでは!